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神保 康広 (Yasuhiro Jimbo) 

バイク事故が原因で下半身マヒの車いすになりながら、「車いすバスケット」での海外留学第1号日本人選手として世界で活躍。本人は野茂やイチローと同じ開拓者と自負している。これまで、4度のパラリンピックに出場したが、2004年のアテネパラを最後に代表引退。2006年からは発展途上国に渡って車いすバスケの普及活動などに力を注ぐ。ここ数年、選手としてはある意味引退モードだったが、約3年間のブランクを経て2009年1月より、再び「全国制覇」を目指して活動を再開することに。通算8チーム目(海外2チームを含む)となるNO-EXCUSEに移籍して復活をかける。

  略 歴

1970年6月16日生。東京生に生まれて埼玉で育つ。
16歳の時、バイク自損事故で下半身不随に。絶望と失意で1年半の引きこもり生活。
18歳で車椅子バスケと出会い、90年から99年まで車いすバスケットボールチームの名門「千葉ホークス」に所属
92・96・00・04年と4期連続でパラリンピックに出場
00年ダスキンの奨学金を受け、米国アラバマ州のレイクショア財団の研修留学
同時に「ストーム」の一員としてD2でNWBA(全米車椅子バスケットボール協会)へ参戦
01年シーズンD2で全米優勝を果たし、同大会のベストファイブに選出される
02年シーズンD1に昇格して参戦するも惨敗で最下位に終わる
03年シーズンD1の強豪、デンバー“ローリング”ナゲッツに移籍
☆同シーズンの最終成績は全米選手権D1 ベスト4
03年シーズン終了後、完全帰国
04年  春 福岡Limitzを立ち上げ、選手兼アシスタントコートとして活動
06年 7月 JICA(青年海外協力隊)の短期隊員として、マレーシアでのコーチ及び普及活動
06年12月 帰国
07年 1月 仕事の関係で岐阜に移住、LAKE滋賀に入部
09年 1月 NO-EXCUSEに移籍 再び全国制覇を目指して活動開始

※D1とは1部リーグのことで、全米で8チーム前後しかないトップリーグ。そこには、各国の代表クラス選手が籍を置きシーズンを戦う。そして、毎年3月末にある全米選手権の優勝を目指します。D1チーム数が少ないこともあり、入部自体が難しく狭き門である。また、D2とは2部リーグのことで、全米に100チーム前後存在し、概ね東、西、中、南地区に分かれている。D1同様に3月末の全米選手権優勝を目指して戦う(2003年までの状況)



 主な競技歴

バスケットボールでの主な成績(1989年〜)
・ 内閣総理大臣杯 全日本選手権
   11年連続出場(90年〜00年)
   2年連続出場(90年〜00年)   合計13回出場
   うち優勝4回、準優勝3回、リバウンド王、ベストファイブ賞など数回受賞
・ 全国身体障害者スポーツ大会(身障国体) 11回出場うち5回優勝、準優勝3回

 
1990年

「千葉ホークス」入部

1992年

バルセロナ・パラリンピック  8位

1996年

アトランタ・パラリンピック  8位

1998年

シドニー世界選手権  9位

2000年 米国アラバマ州へ単身渡航 レイクショア・ストームでD2参戦
シドニーパラリンピック   9位
2001年

ストーム NWBA・D2優勝(ベストファイブ受賞)

2002年 4月

ストーム NWBA・D1参戦するも惨敗 シーズン終了後に帰国

9月

米国コロラド州デンバーへ単身渡航
デンバー“ローリング”ナゲッツのトライアウト参加&合格

2003年 3月

ナゲッツ NWBA・D1で全米選手権に出場 全米ベスト4

4月

完全帰国

2004年 3月 アテネパラリンピック・アジア予選inオーストラリア 準優勝
9月 アテネパラリンピック  8位 代表引退 
2005年 5月 福岡Limitz 創部一年目で日本選手権初出場
2006年 7月 JICAの青年海外協力隊短期隊員としてマレーシアで指導活動開始   
9月 タイ パタヤ国際大会にてナショナルチームコーチ初采配 4位        
10月 イラン イスファハン国際大会でコーチ参加 3位
11月 第9回フェスピックinクアラルンプールでコーチ参加 8位
2007年 1月 LAKE滋賀に入部 (が、役立たずに終わる・・・)
2009年 1月 NO-EXCUSEに移籍 (復活宣言)


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